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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)8531号 判決

原告

西元孝太郎

ほか一名

被告

株式会社共栄商会

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告らに対し、各金一〇八二万六五四九円及び右各金員に対する昭和五〇年二月二六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  事故の発生

訴外西元潤一(以下、亡潤一という。)は、被告会社の従業員であつたが、昭和五〇年二月二六日午後二時五分東京都台東区上野七丁目一四番一一号先の交差点(以下、本件交差点という。)において、被告会社所有の自家用普通貨物自動車(足立四そ三三三号、以下、本件車両という。)を運転して走行中、本件車両が横転したため脳挫傷の傷害を受け、同日死亡した(以下、本件事故という。)。

2  責任原因

被告は、雇傭契約に基づき、使用者として従業員である亡潤一に対し、その生命及び健康を業務上の危険から保護すべき安全保護義務を負つていたにもかかわらず、次のとおり亡潤一にブレーキに欠陥のある本件車両を使用させ、その結果本件事故を発生させたものであるから、民法第四一五条に基づき原告らに生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

(一) 本件車両は、ダツトサン(ライトバン)昭和四四年式自家用普通貨物自動車で、本件事故当時六年間使用され、廃車にする寸前であつた。また、かねてからブレーキの踏み代が深くて容易に制動が効かず、常に調整の必要があり、調整してもその状態が長期間保たれないため、常時危険な状態にあつた。また、本件事故の二年前から、本件車両の荷台に石油タンクをすえ付けたため重心位置が高くなり、不安定性が増していた。

(二) 原告は、本件事故当日、顧客に届けるため、本件車両のタンクに灯油を四〇〇ないし五〇〇リツトル積んで、被告会社坂本給油所を出発し、本件交差点に時速四七キロメートルで差しかかり、左折するためハンドルを左に切つてブレーキを踏んだ。しかし、制動が効かなかつたため、本件車両は、車体が右に傾き、左前後車輪が浮き上がりながら約四五メートル進行して横転したものである。

(三) 被告は、本件車両のブレーキに欠陥のあることを知つていたから、原告に対し、代わりの車両を用意するか、本件車両について抜本的な修理等適切な処置をすべき義務があつたのに、これを怠つたものである。

3  損害

(一) 逸失利益 各金六八二万六五四九円

亡潤一は、本件事故当時二二歳の男子であり、本件事故により死亡しなければ、六七歳まで四五年間稼働し、その間毎年昭和五〇年賃金センサスの産業計、企業規模計、学歴計の二〇ないし二四歳の男子労働者の平均給与額である金一五三万六三〇〇円を下回らない収入が得られるはずであるから、右の額から生活費としてその五割を、またライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息をそれぞれ控除して亡潤一の逸失利益の死亡時の現在価額を算出すると、その額は、次の計算式により、金一三六五万三〇九八円(一円未満切捨て)となる。

1,536,300×(1-0.5)×17.774=13,653,098.1

亡潤一の死亡により、原告西元孝太郎はその父として、同西元すみ子はその母として、それぞれ亡潤一の右損害賠償債権につきその二分の一である金六八二万六五四九円を相続した。

(二) 慰藉料 各金四〇〇万円

原告らは、長男である亡潤一が本件事故で死亡したことにより、多大の精神的苦痛を被つた。これを慰藉するには、各原告につき金四〇〇万円が相当である。

4  そこで、原告らは被告に対し、各金一〇八二万六五四九円及び右各金員に対する債務不履行による損害の発生した昭和五〇年二月二六日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2  同2(一)の事実のうち、本件車両がダツトサン(ライトバン)昭和四四年式自家用普通貨物自動車であることは認めるが、その余の事実は否認する。

被告会社は、本件車両について検査主任として二級整備士の資格を持つ訴外佐藤幹雄を被告会社坂本給油所に配置して常時点検整備をさせており、同人は、本件事故前の昭和五〇年二月二一日にも本件車両のブレーキの点検整備を行つた。したがつて、本件車両には何らの欠陥もなかつたものである。

本件事故は、もつぱら亡潤一が時速七〇キロメートル以上の高速度で減速することなく本件交差点に進入し、ハンドルを左に急に切つた過失により、車体が右に傾き、左前後車輪が浮き上がつて横転したため生じたものである。

したがつて、被告には、亡潤一に本件車両を運転させたことにつき安全保護義務違反はない。

3  同3の損害額は争う。

逸失利益の算定基礎となる年収入額については、亡潤一の死亡当時の実収入額である金一一一万二四七五円を基礎とすべきである。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求の原因1(事故の発生)の事実は、当事者間に争いがない。

二  原告らは、本件事故は、本件車両のブレーキに欠陥があり、制動が効かなかつたため生じたものであると主張するので、判断する。

1  成立に争いのない甲第四号証、第五号証、第六号証の一ないし二二、第七号証の一ないし七、第九号証、第一〇号証、第一一号証の一ないし五、証人岡田実、同柴崎和憲、同遠藤二夫の各証言によれば、以下の事実が認められる。

本件交差点は、北方向、三の輪方面へ走る車道幅員一九・三五メートル、両側に歩道(幅員各二・七メートル)のある片側三車線の道路、南東方向、昭和通り方面へ走る車道幅員一八・一〇メートル、両側に歩道(幅員各二・七メートル)のある片側三車線の道路及び南西方向、上野方面へ走る車道幅員約一一メートル、両側に歩道のある片側二車線の道路が交差する変型交差点で、各車道はアスフアルト舗装されており、平たんで、本件事故当時路面は乾燥していた。制限速度は毎時四〇キロメートルとされていた。

亡潤一は、顧客に配達するため、本件車両のタンクに灯油を約四〇〇リツトル積み、同僚の訴外柴崎和憲を同乗させて、本件交差点から北方向へ約二五〇メートル離れた被告会社坂本給油所を出発し、約七〇メートル進行して下谷郵便局前信号機の赤色信号で一時停止した。右信号機から本件交差点までは約一七〇メートルの直線道路であるところ、亡潤一は、右信号機が青色信号に変おつた後、発進進行し、本件交差点手前では時速約六〇キロメートルで走行していた。そのころ、昭和通り方面からの車道上には、本件交差点の信号機の赤色信号に従い、センターライン寄りの車両通行帯上で停止線の手前に訴外大木啓正運転の普通貨物自動車(多摩四四に六七六一、以下、大木車という。)、その後ろに訴外遠藤二夫運転の普通貨物自動車(足立四四ひ一〇五八、以下、遠藤車という。)、大木車の左横に訴外市場義昭巡査部長運転のパトロールカーが、それぞれ停車していた。本件車両は、時速六〇キロメートルのまま本件交差点に青色信号で進入し、昭和通り方面へ左折しようとしたところ、車体が右に大きく傾き、左前後車輪が浮き上がりながら、左に大きな円弧を描いてカーブし、大木車の右側後部ボデーに接触し、さらに横転しながら遠藤車の右前部フエンダーから右側ドア付近に衝突した。本件事故現場には、本件交差点の三の輪方面にある横断歩道から同方面へ四・三九メートル、東側歩道から六・八メートルの地点を起点として大木車との衝突地点まで左方向へほぼ一定の曲率をもつ約三九・六七メートルの長さの本件車両の右前及び右後車輪のものと考えられる二条の幅の狭いタイヤ痕が残されていた。

原告西元孝太郎本人尋問の結果中には、下谷郵便局前信号機を発進し、本件交差点手前まで、最大限度加速しても毎時六〇キロメートルの速度には達し得ない旨の供述部分があるが、証人岡田実、同柴崎和憲、同遠藤二夫の各証言に照らして信用することができない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  前掲甲第四号証、成立に争いのない甲第三号証、弁論の全趣旨から真正に成立したものと認める乙第五号証、第六号証、証人岡田実、同佐藤幹雄、同柴崎和憲、同平形竹雄、同青木繁幸の各証言によれば、以下の事実が認められる。

本件車両は、ダツトサン(ライトバン)昭和四四年式自家用普通貨物自動車で(この点は当事者間に争いがない。)本件事故の二年前から約四〇〇リツトルの灯油タンクを積んで、ミニローリーとして使用されていた。本件車両のブレーキについては、昭和四九年六月五日に車検のための点検、修理をした際、ライニングを取り替え、ホイールシリンダー、マスターシリンダーを分解点検し、オイルブレーキ等の油漏れの点検をしたが、結果は良好であつたこと、その後、本件事故までの間に本件車両のブレーキには、通常のものより大きい踏み代があつて、深く踏み込まなければ制動が十分に効かないことがあつたが、本件事故前において制動が全く効かない状態になつたことはなかつた。本件車両の点検、整備については、被告会社社員で二級整備士の資格を持つ訴外佐藤幹雄が常時行つており、ブレーキについても本件事故の五日前の昭和五〇年二月二一日に同人が本件車両を点検した際には、ホース、パイプからの漏れやブレーキオイルの液量に異常はなかつたが、ブレーキの効きが甘かつたので、ドラムの所にあるネジを締める方法で、踏み代、ブレーキの効き具合等を調整した。本件事故直後警察で調査したところでは、本件車両のブレーキについて異常が認められなかつた。

3  以上の諸事実を総合すると、本件車両のブレーキについては、本件事故前において通常より踏み代が大きく、深く踏み込まなければ制動が十分に効かないことがあつたが、しかし全く効かないことはなく、本件事故の五日前に点検調整が行われており、また本件事故直後にもブレーキが正常であることが確認されたことからすると、本件事故当時本件車両のブレーキに欠陥があつたものと推認することはできない。

次に、本件事故の態様からみても、特にブレーキに欠陥があつたことを推認するに足りる事実は見当たらないというべきである。証人柴崎和憲の証言によれば、本件車両が本件交差点に進入し、車体が右に大きく傾き出す直前に、亡潤一が「あつ、いけねえ。」といつたことが認められるが、なぜ亡潤一が右の言葉を発したのか、その理由を認めるに足りる証拠はないから、このことが本件車両のブレーキに欠陥があつたことをうかがわせるものともいえない。また、タイヤ痕が、本件交差点進入前から右前後車輪のものだけしかないことから、ブレーキが片効きであつたことが考えられなくはないが、証人柴崎和憲の証言によれば、本件車両が本件交差点に進入して車体が傾き出すまでの間、亡潤一がブレーキを使用した形跡はなかつたことが認められ、また、右車輪にだけ制動がかかれば、進路はむしろ右に曲がるのが通常であるのに、そのような形跡はないことをも考え合わせると、ブレーキが片効きであつたことを認めることもできない。タイヤ痕が右前後車輪のものだけしかないのは、前記のように、灯油約四〇〇リツトルを積んだ上、毎時約六〇キロメートルの速度のままで左へハンドルを切つたため、遠心力により車体が大きく右へ傾き、左側車輪が浮き上つた状態で進行したためと考えられる。

4  証人駒沢幹也の証言及びこれにより真正に成立したと認める甲第一二号証の一によれば、訴外駒沢幹也は、本件事故の発生原因について以下のとおり判断したことが認められる(以下、駒沢鑑定という。)。

本件車両を、高速度のままブレーキをかけずに単にハンドルを左に急に切つても、車体が右方向にスライドするだけで、車体が右に傾き、左前後車輪が浮き上がることは起こり得ない。本件事故のような状態は、ハンドルをまず右に切り、そのため左に寄つた重心が中央に戻つてくるときハンドルを左に切るといつた操作をしたとき初めて生じるものである。本件車両のタイヤ痕は当初右に向いているから、亡潤一も本件交差点に入る前にハンドルを右に切り、それから左に切つたものである。これは、車両外に右のような操作をせざるを得なかつた外的状況があつたためと考えられるが、右外的状況に対してはハンドルだけでなく、ブレーキをかけることでも対処し得るはずであるから、亡潤一は、当然ブレーキをかけたはずであるが、制動効果が生じた形跡が認められないから、ブレーキはかけたけれども効かなかつたものと見るべきである。ブレーキの効かなかつた原因としては、ブレーキの各シリンダー内にあるゴムカツプの弾力の劣化により、オイルがカツプからもれて圧力が伝わらず制動が効かなくなり、その結果ブレーキペダルを踏んでも手ごたえなくフロアに届くまでスツポ抜けてしまう、いわゆる「スツポ抜け現象」が考えられる。したがつて、ブレーキが故障したことが本件事故の原因である。

しかしながら、前掲甲第五号証、第九号証、証人柴崎和憲の証言によれば、本件車両が、本件交差点から一七〇メートル離れた下谷郵便局前信号機で赤色信号に従つて停止した際、そのすぐ右側に乗用自動車が停止していたが、右信号機が青色信号に変わつたとき本件車両が先頭で発進し、本件交差点に至るまで本件車両に先行する車両はなかつたこと、本件車両は、本件交差点手前で急に進路変更したり、ガクンとしたりしたことはなく、一定速度でスムースに左へ曲がる感じで本件交差点に入つたこと、タイヤ痕も本件交差点手前でわずかに右にふくらみがみられる程度で、むしろほとんど直進といつてもよいことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。そうすると、駒沢鑑定が想定する、本件車両が本件交差点に進入直前にハンドル又はブレーキの操作により避けなければならなかつた外的状況のあつたこと及び亡潤一が本件交差点進入直前にハンドルをまず右に切り、それから左に切つたことは、本件事故においては認めることができない。また、本件車両のブレーキにいわゆる「スツポ抜け現象」が生じたことをうかがわせる証拠も皆無である。したがつて、本件事故の原因について駒沢鑑定の推論を採用することはとうていできない。

5  以上によれば、本件事故について、本件車両のブレーキに欠陥のあること、右欠陥と本件事故発生との間に因果関係があることは、いずれも認めることができないといわざるを得ない。

三  以上の次第で、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 北川弘治 芝田俊文 富田善範)

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